勉強会主催の みなみ です。
『自己評価メソッド』を通して、不安や恐れなどの生きづらさを解消するにはどうすればいいのか、そのための自己評価の高め方について、続けてご紹介しています。
今回はその53回目です。
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人生に意味を見つけることと、その実践法
『自己評価メソッド』は、フランスで人気の精神科医 クリストフ・アンドレ氏によって書かれました。
こちらの記事では、『自己評価メソッド』で紹介されている、自己評価をよくする方法を以下の4つのパートに分けてお話ししています。
- 自分を受け入れる
- 自分との関係を改善する
- 他人との関係を改善する
- 行動の仕方を改善する
前回は、「人生に意味を見つける」ということについてお話ししました。
「意味を見出す」ことは素晴らしいいっぽうで、弱みにもなり得る
人間は自らの行為に意味を見出す動物です。
それは素晴らしい特徴であるいっぽう、同時に弱みにもなっている、といわれています。
それは、自分のしていることに意味を感じられないと「なぜこんなことをしなければならないのだろう」と考え、苦痛に感じ、「不幸せになる」からです。
毎日を幸せに過ごすには、悩みや苦しみがないことだけでは不十分であり(悩みや苦しみがないことで“むなしさ”を感じることもあるため)、意味ある人生を送ることが欠かせないのです。
「人生の意味」と 自己評価 には密接な関係がある
「人生の意味」を見つけられれば、「自分の人生にも、自分の存在にも価値がある」と思えて、自己評価も高まり、幸せになることができます。
また、自己評価が高まれば、「自分になにか、周りの役に立つことはできないだろうか」という思いが持てて、できることを探し、それが見つかれば、そこにもまた「人生の意味」を見出すことができるようになりますね。
このように「人生の意味」と自己評価には深い関係があるため、「人生の意味」は宗教・哲学だけでなく、心理学でも扱われるテーマになっています。
人生の意味を見つけるための実践法
人生の意味を見つけるための実践法として、2つをご紹介しました。
実践法① 自分のしていることに意味がないか考えてみる
多くの専業主婦たちは、家で子供の世話をしていることに意味を見出せずにクリニックを訪ねにくる、といわれています。
しかし子育てもまた、社会的に非常に価値のあることですね。
「今、自分のしていることを頭から否定しないで、それに意味を見つけてほしい」と、アンドレ氏はアドバイスをしています。
- 自分のしていることには社会的にどんな意味があるのか
- 自分のしていることが周囲にどう役立っているのか
- 自分のしていることと、自己成長とにどんな結びつきがあるか
ということを問いかけることで、その意味を見つけることができるでしょう。
実践法② 日常の行為を大切にする
日常の行為を大切にすることも、「人生に意味を与える」効果的な方法です。
そのためには、何かをしながら別のことをしたり、時間つぶしに何かをしたりするのではなく、1つのことのみを行うことが勧められています。
例:病院の待合室にいるなら、時間つぶしのために何かをするのではなく、「生きているのは当たり前ではないこと」や「専門医に診てもらえるありがたさ」に思いを巡らしながら待つ、など。
その際、手段としてのみだけでなく、その行為自体を楽しむようにすることで、満ち足りた気持ちも得ることができます(食事を単なる栄養の補給という手段として考えるのではなく、食事自体を楽しむ)。
何かをしながら食事をするのではなく | 食事自体を楽しむ |
前回の詳細はこちら
今回は、死の恐怖とそれに立ち向かう実践法についてお話ししていきます。
死の恐怖とそれに立ち向かう実践法
「人生に意味を見つける」ことと<死の恐怖>との関係
先の記事で紹介した実践法を行い、「人生に意味を見つける」ができるようになると、<死の恐怖>をやわらげることができる、といわれています。
それはなぜでしょうか。<人生の意味>と<死の恐怖>との間には、どのような関係があるのでしょうか。
仮に、ある日突然、治る見込みのない病気となり、まもなく死ななければならないとなったら、どんな気持ちになるでしょうか。
死と向き合えば、当然、恐怖におののくことになると思います。
その恐怖におののくことの原因の1つが、「自分の人生には意味がなかった」と気づくから、といわれています。
「これまでの自分の人生に限りなく満足している」
「非常に意義のある人生であった」
という思いに満ちていれば、その人生が幕を閉じるとなっても、後悔することはないでしょう(死そのものの恐怖が尽きることはありませんが、死は受け入れやすくなります)。
しかし「自分の人生に意味はなかった」という思いばかりであれば、とても死を受け入れることはできず、嘆き、後悔し、より苦しむことになります。
前回、「人生の意味を見つける」ことは、自己評価や幸福感とも高い相関関係があることもお話ししていました。
人生の意味が見つかれば自己評価が高まり、幸せな気持ちになり、その結果、<死の恐怖>がやわらぐことにつながる、とも言うことができます。
<自己評価>と<死の恐怖>との関係
<自己評価>と<死の恐怖>との関係を見ていきますと、
いくつかの研究によって、<自己評価>があがると、<死の恐怖>を抑えられることがわかっているそうです。
ある研究では、
実験協力者に性格テストを受けてもらい、その結果がよかったと伝えると、一時的に不安のレベルが低くなり、死の恐怖もやわらいだそうです。
また、別の研究では、
被験者に死を意識させる実験をすると(たとえば、自分の死について短い文章を書かせてみるなど)、被験者たちは<自己評価>を高める行動に出た、ということもわかったそうです。
それはまるで<自己評価>は<死の脅威>から守ってくれるもの と感じているかのようだった、といわれています。
この<自己評価>と<死の恐怖>との関係は、それ以外の研究でも確かめられています。
それらの研究から、一般に死を意識すると、人は次のような態度や行動をとる傾向にある、と認められています。
死を意識することによる行動傾向
- 正のフィードバックを必要とし、ほめ言葉や安心させてくれる言葉を欲しがる
- ほかの人に対して権威的になり、断定的なものの言い方をしたり、間違いを認めなくなったりする
- 車の運転など自信のあることで、わざと危ないことをする
- 物質的な欲望が高まり、贅沢を望むようになる
- 容姿に自信がある者は、これまでよりいっそう身体に興味を示し、自分の外見にこだわるようになる
- 人に優しくなり、寛大になる(これは自分の容姿にこだわったり、贅沢をしたりする者より多かった、ともいわれています)
- これについては興味深い研究も紹介されていました。
死に関係する場所(例:葬儀場)の前で待ち合わせをしてもらった被験者のグループと、死に関係のない場所(例:デパート)の前で待ち合わせをしてもらった被験者のグループを比べた場合、そのあと食事に行くと、おごってくれた人の割合は前者のグループ(葬儀場で待ち合わせをした)のほうが多かったそうです
- これについては興味深い研究も紹介されていました。
死を意識することで起こり得やすい態度・行動を見ると、その反応は大きく2つに分けることができそうですね。
1つ目は「自己評価をあげる」、つまり、
- 他者からもっと認められる
- 他者に支配的になる
- 物質的な欲求を満たすことで優越感を得る
ということへの必要を感じること。
もう1つは、優しくなる・寛大になるという、「自己評価をよくする」行動をしようと思う、というものです。
他者からの評価を求めたり、物質的な欲求を満たしたりしても、自己評価をよくすることにはつながらないため、
死を意識するときのみならず、常日頃から、自己評価をよくする行動こそ 意識をしていきたいですね。
では、このことも踏まえ、<死の恐怖>に立ち向かうために、私たちは具体的にどうしていけばいいのでしょうか。
そのための5つの実践法が紹介されています。
<死の恐怖>に立ち向かうための5つの実践法
実践法の紹介の前に、改めて<死の恐怖>と<自己評価>との関係が指摘されていました。
<死の恐怖>を克服することで<自己評価>は安定して、落ち着いたものになります。
そのため、この後の実践法を行うことは「自己評価をよくする」ことにもつながります。
そして、自己評価がよくなれば、<死の恐怖>がやわらぎ、立ち向かいやすくなることは先でお話ししました。
ゆえに、<死の恐怖>がやわらぐことと、<自己評価>との間には円環関係が存在するといえるのですね。
そのことも考慮したうえで、この先の5つの実践法を見ていただきたいと思います。
実践法① 人間は皆、死ぬものだと考える
「人間は皆、死ぬものである」
そのことを定期的に思い出し、その考えに静かに向き合うことが勧められています。
「人が死ぬことくらいはわかりきっている」と私たちは考えていますが、自分が“今日”死ぬかもしれないと本気で思っている人はほとんどいないのではないでしょうか。
死ぬことくらいはわかっていると思っていながら、自分が死ぬとはまったく思っていないのが私たち、といえるでしょう。
その想定外の死にいきなり直面すれば、死の恐怖におののき、強く後悔するに違いありませんね。
だからこそ、<死>という事実と向き合い、自分の人生について深く考えることが大切といえます。
時には自分の死や近親者の死、愛する人の死を想像して、イメージとして思い浮かべることが勧められています。
実践法② 死の恐怖やイメージを受け入れる
実践法①で想像した死、イメージした死を冷静に見つめ、それを受け入れることもまた想像してみましょう。
実践法③ 死期がわかったら、何をするかを考えておく
1週間後に死ぬとしたら、
- 自分にとって何が大切だろうか?
- 誰に会いたいだろうか?
- どこを見ておきたいだろうか?
では1か月後だったら、1年後だったら…。
このように普段から考えておくことで、いざ「死ぬかもしれない」となったときにも、何も考えていなかった場合と比較すれば、ずっと慌てなくてすむようになるでしょう。
実践法④ 死の恐怖にとらわれたら、毎日、死のことを考える
<死の恐怖>を忘れようとしたり、ごまかそうとしたりするのはよくない、といわれています。
無理に忘れようとしても、恐怖はますます膨れ上がっていってしまうからです。
反対に恐怖を見据えて、それを乗り越えることができれば、その利点は測りしれません。
では、死の恐怖を乗り越えるとは、具体的にどういうことでしょうか。
死の恐怖を乗り越える = 今の大切さがわかり、十全に生きられるようになる
それは、実際に不治の病にかかった人の証言でわかります。
病にかかった人は、その病気に向き合うことで、<生>は常に<執行猶予>でしかないということがわかってきます。
しかもその執行猶予の期間は“不定”、いつ刑が執行されるかわかりません。
だとすれば、大切なのは今を十全に生きることと知らされるのです。
<生>が不定の執行猶予期間であること、
ゆえに、今がいかに大切であるかがわかり、十全に生きられるようになること、
それが、不治の病にかかった人の証言する“死を乗り越えた状態”であるのですね。
死の恐怖からなんとか逃れようとしている状態と比較すれば、まさにその利点は測りしれないとわかります。
実践法⑤ 自己評価を究極のものにする
先に、<死の恐怖>をやわらげるには、<自己評価>をあげるといい、とお話をしていました。
また、死を前にすれば、人は自己評価をあげる態度や行動に出る(例:ほめ言葉が欲しくなる、他者に支配的になる、容姿にいっそうこだわるようになるなど)ということもお話ししました。
しかし、このような方法で<死の恐怖>が抑えられるのは、一時的な効果しかない、ともいわれているのです。
では、どのような態度・行動が望ましいのでしょうか。
それは、<自己評価>をよいものにして、もっと落ち着いたものにすることである、といわれています。
<自己評価>をよいものにする行動
それでは、<自己評価>をよいものにするにはどうすればいいのでしょうか。
それは、これまで『自己評価メソッド』で紹介されたことを実践して、
「<自己評価>に関係するさまざまな分野をよくしてやる」
ことです。
それはさらにどういうことかというと、
「人間として成長して、精神的な高みに達する」
ことであるといわれています。
<よい自己評価>を身につけるとは、精神を鍛えることによって<自分>を忘れ、<自己評価>も忘れること、自己評価から自由になることなのです(それこそ<究極の自己評価>といわれています)。
そのような状態になれることを目指して、日々、自己評価をよくする実践法に取り組んでいきたいですね。
以上が、死の恐怖とそれに立ち向かう実践法についてでした。
「生きづらさを解消する自己評価メソッド」に関する記事は、今回で終わりになります。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
まとめ
- 「人生に意味を見つける」ことができると、<死の恐怖>がやわらぐ、といわれています。それは、人生に意味を感じ、満ち足りた思いになっていれば、後悔することはなく、死を受け入れやすくなるからです(反対に、意味を感じられなければ、死を前にして嘆き、苦しむことになります)
- <自己評価>と<死の恐怖>にもまた、深い関係があります。自己評価があがれば、死の恐怖をやわらげることができ、また、死を意識すると、人は自己評価を高める行動に出る傾向があります(その行動は、自己評価をあげる行動と、自己評価をよくする行動に分けられます)。
- <死の恐怖>に立ち向かうための5つの実践法をご紹介しました
- 人間は皆、死ぬものだと考える-
私たちは、自分が今日死ぬことになる、とは、とても考えていません。その想定外の死に直面すれば、たちまち死の恐怖におののくことになります。だからこそ<死>という事実に向き合い、時には自分や近い人の死を想像し、イメージとして思い浮かべることが勧められてます - 死の恐怖やイメージを受け入れる
- 死期がわかったら、何をするかを考えておく-
1週間後に死ぬとしたら、1か月後に死ぬとしたら…、と普段から考えておくことで、いざというときに、ずっと慌てなくてすみます - 死の恐怖にとらわれたら、毎日、死のことを考える-
死を無理に忘れよう、ごまかそうとしても、それは逆効果であり、死の恐怖が膨れ上がります。死をごまかすのではなく、死の恐怖を乗り越える(=生は不定の執行猶予期間であると知って、今の大切さがわかり、だからこそ十全に生きようとする)ことです - 自己評価を究極のものにする-
自己評価をあげることは、<死の恐怖>をやわらげるのに一時的な効果しか発揮しません。そうではなく、自己評価をよいものにして、もっと落ち着いたものにすることが望ましいです。自己評価をよいものにするには、自己評価メソッドを実践して「人間として成長し、精神的な高みに達する」、換言すれば、自分を忘れて自己評価から自由になることです
- 人間は皆、死ぬものだと考える-
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