人生の課題から逃れるのはなぜ?アドラー心理学にみる「“見かけの因果律”の実態」

あなたは、「〇〇だから、✕✕できない」ということを口にしてはいないでしょうか。

「自分はもう若くないから、挑戦できない」
「環境が悪いから、私は成功できない」
「あの人が邪魔をしたから、うまくいかなった」

というようなことを言って、何かに取り組もうとしないことはよくあるかもしれません。

しかしその理由は本当に理由になることなのでしょうか?

アドラー心理学では「見かけの因果律」ということを教えています。「見かけの因果律」を通して、私たちが物事に取り組む姿勢について学んでみましょう。

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因果関係があると見せかけている?

『アドラー心理学入門』には「見かけの因果律」をこのように説明されています。

自分の今のあり方について、遺伝、あるいは、これまでの親の育て方などを持ち出すことを、アドラーは因果関係があると見せかけることと呼んでいます。

(『アドラー心理学入門』岸見一郎著 より引用)

いま、自分はどうしてこんな目に遭っているのか、こんな状態になっているのかについて、遺伝や親の育て方を持ち出すことを「見かけの因果律」と呼んでいます。

ではどうして“見かけ”といえるのでしょうか。
遺伝や親の育て方によって苦しんだり悩んだりすることもあるのではないでしょうか。

もちろん、遺伝や親の育て方が、いまの自分のあり方にまったく影響を与えていないわけではありません。
場合によってはその影響が大きいこともあるでしょう。

しかし、もし遺伝や親の育て方ですべてが決まるとすれば、双子はまったく同じ運命を辿ることになります。
けれど双子だからといってまったく同じように生きている人はいませんよね。

本人の意思によって言動が変わり、運命は切り開かれるものなのです。

だから、私の今のあり方の根本的な原因は遺伝や親の育て方ではなく、私自身にあるのであり、遺伝や親の育て方を持ち出すのは因果関係の見せかけだと言われているのですね

ではなぜ、今の自分のあり方は自分自身にあるのだと認めずに、因果関係があるように見せかけているのでしょうか?

「見かけの因果律」の目的は、自分の行動の責任を転嫁するため

「見かけの因果律」にとどまる理由は、こう説明されています。

人が遺伝を持ち出して自分の能力には限界があるというようなことをいうとした場合、すでにそのように遺伝を持ち出すというそのことが、人生の課題から逃れようとしている兆候であると見ることができます。

すなわち、実際には何も因果関係のないところに、因果関係を見出すということですが、そうすることの目的は、自分の行動の責任を他のものに転嫁することです

遺伝や親の育て方、環境等々を自分が今こんなふうになっているということの原因に見せかけるわけです。

(『アドラー心理学入門』岸見一郎著 より引用)

遺伝を持ち出して自分の能力に限界があるいうのは、人生の課題から逃れるため、と指摘さています。

遺伝を持ち出して限界を示させば、それ以上努力する必要はなくなりますね。

しかし遺伝が本当に理由になっているかといえば、疑わしいといえます。

アドラー心理学の観点からいえば、遺伝を持ち出すのは責任転嫁であり、自己正当化であるといわれるのですね

「見かけの因果律」がいかに誤っているかについて、『アドラー心理学入門』ではわかりやすい具体例を出して説明されています。

主人のそばについて歩くことを訓練された犬が、ある日、車にはねられました。

この場合、この犬がはねられたのは、不注意によるものだった、と考えられます。

しかし犬はそのようには考えません。
「この場所」が恐い、というのです。

そしてその場所には近づかないようにします。

神経症の人もこれと同じである、とアドラーはいいます。

面目を失いたくはないがために、ある出来事を自分が人生の課題に直面できないことの原因とするのです

アドラーの言葉を引けば、「事故に遭ったのは、場所のせいであって、自分の不注意、経験のなさではない」と結論づけたのです。

そして、危険はこの場所で〈いつも〉 その犬を脅かし、この考え方に固執しました。

(『アドラー心理学入門』岸見一郎著 より引用)

犬が車にはねられてしまったのは不注意によるものであったにもかかわらず、犬は「この場所が恐い」と感じているとしたら、それは誤りでしょう。

この場所が恐いのなら、ここを通った人や犬は車にひかれることになります。
しかしそんな恐ろしい道ばかりとは考えられないですね。

この犬のたとえはわかりやすいのですが、
実は神経症の人もこれと同じで、人生の課題に直面したくないから、面目を失いたくないから、本当は原因ではないことを原因と見なしているのですね

しかしそのように見かけの因果律にとどまり続ければ、対人関係から喜びを得たり、自己を成長させたりすることはできないでしょう。

見かけの因果律

人生の課題へ踏み出すための「自己受容」

では、責任を転嫁することなく、人生の課題に向かっていくにはどうすればいいのでしょうか。

人生の課題へと踏み出すには、「自己受容」すべきといわれます。

自己受容とは、ありのままの自分を受け入れるということ、もっと簡単にいえば、自分を好きになる、ということです。

自分を好きになれば、人生の課題へ踏み出す勇気が湧いてきます人生の課題に向かわないために、因果関係を見せかける必要もなくなるのですね

それではどうすれば自己受容ができるのでしょうか。

ここでは簡単な紹介になりますが、まず自己受容ができないのは(自分を好きになれないのは)、自分には克服できない欠点があると思っているからです。

「こんな欠点があるから、自分はダメなんだ」と、欠点があることによって自己嫌悪に陥ってしまいます。

そんな状態から自分を好きになるには、欠点を、欠点としてではなく長所として見ることです
欠点を長所と見れば、自分を受け入れられるようになります

また、高過ぎる自己理想を持たないことも有効です
理想が高すぎると、現状との差を感じて今の自分を嫌いになるなど、自分で自分の首を締めることになってしまいます。

理想を高く持ちすぎずに、欠点を長所と見て、現状を受け入れることが大切ですね。

自己受容のさらに具体的な方法については、以下の記事をぜひご覧になってください。

ありのままの自分を受け入れるには?アドラー心理学から知る”自己受容”の方法
「自分のここがイヤで仕方ない」 「自己評価が低くて、何事にも自信が持てない」 と、自分のことが好きになれなくて悩んでいる方は多いのではないでしょうか。 自己評価...

まとめ

  • 「〇〇(遺伝、親にこんな育てられ方をされた)だから✕✕できない」という説明は、「見かけの因果律」だと教えられています。なぜ“見かけ”かといえば、すべては自らの意思が招いたにもかかわらず、遺伝や親の育て方など別の原因を持ち出しているからです
  • 遺伝を持ち出してそれが原因であると見せかけるのは、人生の課題から逃れようとするため、そんな自分を正当化するため、面目を失いたくないためといわれています
  • 見かけの因果律にとどまることなく、人生の課題に立ち向かっていくには「自己受容」することです。ありのままの自分を受け入れ、自分を好きになれば、自ずと人生の課題に踏み出せます。何かと言い訳することはなくなるでしょう

引用した書籍

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

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この記事を書いた人
南 雄一郎

2011年 金沢大学工学部 卒業

大学では機械工学を専攻するなか、悩み解消のヒントや生きる指針を教える仏教に強い関心を持ち、仏教講演会に多数参加しました。

また大学卒業後は仏教と親和性のある心理学にも興味を持ち、独学で学びました。

現在は東京都内でライターをしながら、対人関係の悩みを解消し、自立した生き方の実現を目的とした 仏教×心理学のワークショップを開催しています。

自主開催のワークショップは累計750回以上。

2018年 新潟県キャリアセンター様主催 キャリアコンサルタント フォローアップセミナーにて講師をつとめました。

NPC法人HMC協会 認定心理カウンセラー(セルフ資格) 。

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