勉強会主催の みなみ です。
今回のワークショップには初めての方お2人を含む、9名の方にご参加いただきました^^
台風の影響も心配される中でしたが、多くの方がご参加くださり、とても嬉しく思います。
今回のテーマは「承認欲求」だったので、「承認欲求を満たすことの問題点は?」についてディスカッションをしました。
満たされないと釈然とせず、つらい思いをすることもあるのが承認欲求。
その承認欲求とどう向き合っているかについて、改めて振り返る時間を取ることで、より自分の中に落とし込んでいただけたように感じます。
後日、参加者の方から、ワークショップでお話ししたことを実行し、気持ちが前向きになった、とメッセージをいただき、私自身も元気をいただけました(^^)
※記事の内容を動画でもご紹介しています
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人間の根源的な欲求から知る、承認欲求との向き合い方
今回のテーマは、
ブッダとアドラー心理学から学ぶ「悩みを解消する“承認欲求との向き合い方” 」
でした。
アドラー心理学では、人間の“根源的な”欲求は「所属感」であると教えられています。
所属感とは、共同体の中で「私はここにいてもいいんだ」と思えることです。
ではどうすれば所属感が得られるのかというと、人から認められたり、ほめられたりすれば、所属感が得られると思うでしょう。
「人から認められたい、ほめられたい」という“承認欲求”が満たされることで所属感が得られ、安心できるように思います。
しかしこの承認欲求を満たすことには問題がある、ということを前回はお話ししました。
前回の記事はこちら
その問題点とは、承認欲求を満たすには、外部(他者)から与えられないといけないため、相手に依存することになる、そしてそれは満たされきることはなく、終わりがない、というものでした。
今回は、承認欲求の、もう1つの問題点を詳しく見ていきます。
承認欲求の問題点「他人の評価は変化し、続かない」
承認欲求を満たすことのもう1つの問題点が、「他人の評価は変化し、続かない」ということです。
とんちで有名な人といえば、一休さんですね。
一休さんは室町時代の禅宗の僧侶であり、本名は一休宗純といいます。
アニメでは、愛らしい姿で人気の一休さんですが、実は毒舌家・皮肉屋で知られています。
真実であるがゆえに、耳を塞ぎたくなるような言葉をズバズバと吐く人であったので、嫌われ者であったのです。
しかしその言葉は的を射るものばかりでもありました。
その一休さんは他人の評価の実態をこう語っています。
今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中
「今日ほめられたとしても、明日悪く言われるのが人の口(=評価)だ。それほど他人の評価は、相手の都合によってコロコロと変わるので、あてにならない。
だから、悪く言われたからといって泣く必要もないし、ほめられたからといって笑うのも滑稽である。すべてがウソの世の中だ」
と、他人の評価の本質をズバリ指摘しています。
実際に、一時は高い評価を得ていた人も、不祥事が発覚すると、たちまちバッシングの嵐が起こります。
それは評価していた人の都合が悪くなったからですね。
私自身も、相手に対する評価は一貫していないと感じます。
自分が嫌いだと思っていた人も、自分に貢献してくれたり、自分をほめていたことを第三者から聞いたりすると、相手に対する評価が一変することもありますね。
このように、他人の評価はとても変わりやすく、同じ評価は続かないのですね。
もしこの他人の評価を自己評価として受け止めていたら、どうなるでしょうか?
評価が高いときは安心できますが、その安心も一定ではありません。
人から悪く言われはしないかと気になり、実際に悪く言われれば自分の価値を感じられずに苦しむことになります。
「他人の評価=自己評価」と考えるのは余計な生きづらさを生んでしまい、精神的に危ないといえるでしょう。
この他人の評価について考えさせる歴史上のエピソードがあります。
次回はそれについて詳しくお話します。
まとめ
- アドラー心理学では、人間の根源的な欲求は所属感であるといわれています。「私はここにいてもいいんだ」と安心を得たいため、人は他者からの承認を求めます。しかし承認欲求を満たすことには問題があるのです
- 承認欲求の問題点の1つ目は、終わりがなくて一時的な満足に過ぎず、また外部から与えられないといけないため相手に依存することになることです
- 問題点の2つ目が、他人の評価は変化し、続かないことです。今日ほめられたとしても、明日には手の平を返されて悪く言われることもあります。相手の都合でコロコロ変わる他者の評価を自己評価に置き換えては、悪く言われないかと気になり、悪く言われれば自分には価値がないと落ち込んでしまいます。生きづらさが生まれるのです
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