仏教を説いた人といえば、お釈迦様(=ブッダ)ですね。
お釈迦様は紀元前5世紀ごろに活躍したインドの人です。
- お釈迦様とはそもそもどんな人なのか?
- 仏教は何を教えているのか?
- 悟りを開くとはどういうことなのか?
など、お釈迦様や仏教についての疑問にお答えしていきます。
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お釈迦様とはどんな人?仏教に説かれていることとは…
お釈迦様は、シャカ族という部族の太子として生まれました。
元々はゴータマ・シッダールタという名前です。
シッダールタ太子は、文武ともに非常に優れた方でした。
文武の師が、太子の類まれな才能に感嘆し、師について間もなく
「太子に教えることは何もありません」
と辞任を申し出るほどだった、といわれます。
才能にも地位にも恵まれたシッダールタ太子。さぞ幸せな生活を送っていたのでは、と思います。
ところが太子は成長されるにつれ、深刻そうに物思いに耽るようになっていきました。
そして29歳のときに、悩みの解決をされるため夜中密かに城を抜け出し、6年間、厳しい修行をされたのです(お経には、「勤苦六年」と書かれています)。
その苦行の末、35歳で「仏」という最高の悟りを開かれたのです。
仏の悟りを開いた人のことを「仏」「仏様」、あるいは「仏陀(ブッダ)」といわれます。
お釈迦様が仏として、その悟りの境地を私たちにわかるように教えていかれたのが仏教です。
悟りを開くとは?閃いた、作り出したのものではない
悟りを開くというと、何か、お釈迦様が特別なことを閃かれたように思いますが、そうではありません。
悟りを開くというのは、宇宙の真理を発見した、ということです。
発見しようがしまいが、真理というものは存在していますよね。
万有引力の法則といえば、ニュートンです。
ニュートンは万有引力の法則を編み出したわけではありませんよね。その法則を発見したのです。
また、ニュートンが発見する前も、万有引力の法則は成り立っていました。
同様に、お釈迦様が仏教を作り出したのではなく、発見した真理を教えられたのであり、それが仏教といわれるようになったのですね。
悟りを開いた後の第一声「人生はドゥッカ」とは?
それでは仏教に説かれていることは、具体的にどんなことでしょうか。
まず知っていただきたいのが、仏教の人生観です。お釈迦様は私達人間の人生を、どう教えているのか。
お釈迦様が悟りを開いた後の第一声はこうであったと伝えられています。
人生はドゥッカである
「ドゥッカ」とは何だと思いますか?
人生は楽しいものなのか、あるいは悩ましいものなのか。楽もあれば苦もあるものなのか。
お釈迦様の答えである「ドゥッカ」とは、サンスクリット語の「dukkha」であり、意味は「思い通りにならない」ということです。
確かに人生、思い通りにならないことのほうが圧倒的に多いですよね。
この通勤ラッシュがどうにかならないか…と嘆いたり、
うまくいきかけた契約がちょっとした誤解がきっかけでご破算となったり、
何気ない言動が原因で人間関係がこじれたり、
早く帰ろうと思っていたのに残業を強いられたり、
土日こそ思いっきり遊ぼうと思ったのに、インフルエンザにかかってしまったりと、
仕事でも人間関係でも、なかなか思い通りとはいきません。
思い通りにならなかったときに、私達は悩んだり苦しんだりします。
ですから「人生はドゥッカ」とは、「人生は苦なり」ということであり、私達の人生には悩み、苦しみはつきものだ、ということなのです。
ただ、思い通りにならないとはいえ、少しでも思い通りにしようと、自分の望みを実現させようと私達は努力をします。
実際に望みを叶えて、思い通りの人生を歩めているような人もいます。
しかし思い通りになったと感じるのは一時的で、やがては別の不満、不安が出てきてしまいます。
だからお釈迦様は、人生は苦なり、と断言されているのですね。
娑婆(シャバ)の本来の意味とは?
「シャバ」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
漢字で書くと「娑婆」と書きますね。これはサンスクリット語の「シャバ」に漢字を当てたものです。
元々は、苦しみに満ちた世界、という意味なのです。
刑期を終えた人が「シャバの空気はうまい」と言っているのをドラマや映画で見たことがあるかもしれません。
現在では、刑務所のような自由が束縛されている世界に対し、刑務所の外の自由な世界を指してシャバと使われていますね。
ところが仏教の観点からすれば、刑務所の外の世界も思い通りにならない世界、苦しみに満ちた世界なのです。
ここまで読まれると「人生は苦しいもの、思い通りにならないものだと教えているなんて、仏教はなんてマイナス思考なんだ、ネガティブなんだ」と思われるかもしれません。
しかし決してマイナス思考であったり、ネガティブであったりするのではなく、それが真理であるとお釈迦様は教えられます。
そしてその真理を教えた上で、思い通りにならない人生、生きづらい世の中を、どうすれば幸せに生きていけるのか? そのメソッドを教えているのです。
だから、人生苦なり、を知ることは、暗く沈んでしまうことではなく、明るい未来に向かっての第一歩になり得るのです。
ちょうど、病気を患ったときは、自分の病状を知ることが、全快へ向かっての第一歩になることと同じですね。
病状をよく知らなければ、その病気を治すための治療やリハビリを真剣にしよう、という気持ちにはならないでしょう。
では、お釈迦様が教えている、私達が幸せに生きるためのメソッドとは何でしょうか。
次回以降で詳しくご紹介します。
まとめ
- お釈迦様は最高の悟りである「仏」を開いた人であり、仏としてその悟りの境地を教えていかれたのが仏教です
- 悟りとは宇宙の真理のことです。ゆえに仏教はお釈迦様が編み出した教えではなく、宇宙の真理を教えたものです
- お釈迦様が悟りを開いた後の第一声の「人生はドゥッカ」とは、人生は苦なり、という断言です。お釈迦様の言われる通り、生きていく上で苦しみはついてまわります
- 「シャバ」の本来の意味は、苦しみに満ちた世界のことで、刑務所の内外かかわらず、この世のことを指します
- 「人生苦なり」を知ることは、明るい未来へ向かっての第一歩となり得るのです
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