仏教では、私たちを苦しませるものは「無明(=煩悩)」であると教えられています。
煩悩は全部で108もあるのですが、そのなかでも特に私たちを悩ませ、苦しめるものを「三毒」といいます。
三毒は
- 貪(とん)
- 瞋(じん)
- 癡(ち)
の3つで、
貪は貪欲(とんよく)、
瞋は瞋恚(しんい)、
癡は愚痴のことです。
前回は、1つ目の貪欲とはどういう心かについてご紹介しました。
前回の記事はこちら
貪欲は「限りのない欲の心」のことです。
欲といっても、いろいろな欲があり、仏教では代表的な5つの欲を「五欲」といわれます。
その五欲を満たすために、私たちは一日中、動き回り、振り回されているのです。
この欲にはいくつかの特徴があります。今回はその欲の特徴を掘り下げていきます。
記事の内容を動画でもご紹介しています
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仏教で説かれる欲の特徴とは?
欲の特徴の1つ目は「キリがない」ことです。
欲を満たしたとしても、その満足感は一時的で、また欲を満たそうとします。
さらに欲はどんどん大きくなる、肥大化していくのです。
たとえば、子供のころに毎月、親からもらっていたお小遣い。
小学生のころは、月1000円もらっても満足できます。1000円もあれば駄菓子買い放題ができ、夢のようですね。
しかし今の小学生はゲームやカードをしている子がほとんどで、月1000円じゃとても満足できないと思います。
たった1000円だと、1つのゲームソフトも、1枚のレアカードも買えません。
さらに中学生や高校生になれば、なおさら1000円では満足できず、もっとお小遣いが欲しくなりますね。
また、恋愛でも同じことがいえます。
付き合い始めのころは、目と目が合うだけで幸せな気分になれたり、メールに返信が来ただけで笑顔になったりできるものです。
しかし相手との仲が深まっていくと、
「目が合うだけじゃ物足りない」
「どうしてすぐにメールに返信してくれないの?」
と、相手に対する欲求や不満が大きくなっていきます。
このように、欲は満たされても満足感は一時的、さらに欲は際限なく広まっていく、という特徴があるのです。
無限に広がる欲を満たし切れない苦しみ-「渇愛」
ドイツの哲学者であるショーペンハウアーは、人間の欲についてこう語っています。
富は海水に似ている。飲めば飲むほど、のどが渇くのだ。
名声についても同じことが言える。
海水を飲んだなら、一瞬、喉の渇きが癒されたように感じますが、その直後に猛烈な渇きに襲われます。
「お金がほしい、名声がほしい」という欲も、ちょうど海水と同じように、満たされては渇き、満たされないことで苦しむことになるのです。
お金のことでいえば、実際にこのような調査結果が出ています。
792人の富裕層を調査した結果、「富があってもより幸せになることはなかった」と半数以上の人が証言しています。
(『幸せがずっと続く12の行動習慣』ソニア・リュボミアスキー著 日本実業出版社 より引用)
富を得たとしても、それによる満足感は長続きはせず、底の知れない欲の心で苦しむことになるのですね。
この欲が満たされない苦しみのことを仏教で「渇愛(かつあい)」ともいわれます。
欲を満たさないと生きてはいけませんし、満たされたときは満足できたように感じますが、それもわずかな時間で、その後は満たされないことで苦しむ…。
これが人間の欲の実態なのですね。
欲の本性「我利我利」の恐ろしさ
さらに、欲には恐ろしい面があります。
それは本性が「我利我利(がりがり)」なのです。
我利我利とは、「我が利益、我が利益」と書くように、自分の利益のみを優先する心のことです。いわゆる自己中心的な心のことですね。
本性というのは、普段は出てこないものです。
しかし切羽詰まったとき、自分に余裕がなくなったときに、この「我利我利」の本性が顔を出すのです。
人に尽くすことがいかに大事かわかっている人であっても、いざ自分に余裕がなくなると、人のことなど構っていられなくなります。
食料の確保が困難になれば、人のものを奪いさえしてしまいますし、経済的に苦しくなれば、人からお金をだまし取ることさえやってしまいます。
名誉を得るために、ライバルを蹴落とすこともあるでしょう。
恋愛関係のもつれから相手を傷つけ、殺してしまう事件も起こるほど、欲の本性は恐ろしいものなのです。
これらはすべて、欲の本性である「我利我利」の成せる業ですね。
このように、私達は欲によって苦しみ、罪を造ってしまうことがわかります。
そして、この欲が妨げられたときに出てくるのが「瞋恚」の心です。次回は「瞋恚」について詳しくお話ししていきます。
まとめ
- 私たちを苦しめる三毒のなかの1つが貪欲(限りのない欲の心)です。欲の特徴の1つは「キリがない」ことであり、欲は満たされても、その満足感は一時的で、際限なく広がっていきます
- 欲が一時満たされても、満たされきれずに苦しむことを「渇愛」といわれます
- 欲の本性は「我利我利」と教えられています。自分の利益のみを優先する心で、余裕がなくなったときに顔を出します。自分のためなら相手のものを奪ったり、相手を傷つけたり、蹴落としたりもする恐ろしい心です
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