勉強会主催の みなみ です。
そろそろ4月も終わりに近づき、過ごしやすくなりましたね。
4/26の勉強会には、初めての方お1人を含む、4名の方にご参加いただきました^^
今回の勉強会には、福岡にお住まいながら、東京に出張に来た方も参加されました。
勉強会を通して交流の幅が広がること、嬉しく思います(^^)
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アドラー心理学にみる「人間の根源的な欲求」とは
今回のテーマは、
ブッダとアドラーから学ぶ「悩みを解消する“承認欲求との向き合い方” 」
でした。
記事の内容を動画でもご紹介しています
承認欲求とは、
「人から認められたい」
「人からほめられたい」
という欲求のことです。
自分が人に何か親切をしたとき、頼まれたことをやってあげたときに、そのがんばりが認められなかったら、どう思うでしょうか?
「こんなにがんばっているのに、何も言われないなんてツラい、苦しい。イライラする!」と思う方もいるでしょう。
そのように承認欲求が満たされなくて苦しまれている方も多いと思います。
その承認欲求とどう向き合っていけば、悩まされることが少なくなるのでしょうか。
承認欲求との適切な向き合い方を、仏教やアドラー心理学の観点からお話ししています。
前回のレポートでは、「人間の根源的な欲求」について詳しくお話ししました。
人間にはいろいろな欲求がありますが、なかでも“根源的な”欲求は「所属感」といわれます。
所属感とは、「共同体の中で、『私はここにいてもいいんだ』と思えること」です。
なぜ所属感が根源的な欲求といわれるかの理由は、前回のレポートで紹介しました。

ひと言でいうと、人間の赤ちゃんは他の動物と比べて早産であり、放っておかれると1日たりとも生きていくことができなくなります。
だから、他の人とつながりを持っておかないと大変だと思うようになり、「所属の本能」が強くなるのです。
もちろん生きていく上で、人とのつながりは大事なのですが、「所属の本能」が強くなり過ぎることの弊害もあるのです。
強まり過ぎた「所属の本能」の弊害とは?
「所属の本能」が強くなり過ぎることの弊害を、アドラー心理学の第一人者である野田俊作さんはこう語っています。
人間だけが自殺しますね。ほかの動物は自殺しませんね。
それは人間は生存の本能より、所属の本能のほうが強いから。
だから所属することに失敗して、社会に受け入れてもらえなくなると、「死んだらみんなショックを受けて私のことを思いだすだろう」と思うときに死ぬんです。
それくらい人間は、他の人とつながりを持つという本能が強くなってしまった。
(『アドラー心理学を語る3 劣等感と人間関係』野田俊作著 より引用)
「所属の本能」が強すぎると、所属に失敗してしまったとき、社会に受け入れてもらえなくなったときに、「これではもう生きてはいけない」と思って、自殺さえもしてしまうことになるのです。
これが「所属感」が根源的な欲求といわれる根拠と、それによる弊害です。
「所属感」は根源的な欲求ゆえ、なくすことはできません。そうなると、この所属感を得るための“適切な”方法を知ることがまた、大切になってきます。
所属感を得るためのわかりやすい方法は、「承認欲求を満たすこと」です。
他人からほめられたり、認められたりして、承認欲求が満たされれば、「あ、自分はここにいてもいいんだ」と思えて、所属感が得られるように思います。
反対に、ほめられなかったり、認められなかったりすると、承認欲求は満たされずに、「自分なんて、いてもいなくてもどっちでも変わらない」と思ってしまうでしょう。
では承認欲求を満たすためにがんばればいいかというと、実はそうではありません。
承認欲求を満たして所属感を得ることには問題があるのです。
承認欲求を満たすことの問題点は次回以降、お話ししていきます。
まとめ
- 承認欲求と適切に向き合うときに、まず知っておきたいのが「人間の根源的な欲求」についてです。根源的な欲求とは「所属感」、「共同体のなかで『私はここにいてもいいんだ』と思えること」を指します。それは、成長の過程で私たちは「所属の本能」が強くなったからです
- 「所属の本能」の強まったことの弊害が、社会に受け入れてもらえないと感じたとき、「もう生きていけない」と思うことです。所属感が得られないと、自殺さえもしてしまいかねません
- 根源的な欲求ゆえ所属感はなくすことができません。その所属感を得るために、私たちは承認欲求(他人からほめられたい、自分の価値を認めてもらいたいという気持ち)を満たそうとするのです。しかし承認欲求を満たすことには問題が生じます
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引用した書籍
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