勉強会主催の みなみ です。
今回のワークショップには初めての方2名を含む、6名の方に来ていただき、快晴で、とても気持ちのいい陽気のなか、学びを深めさせていただきました^^
参加者の方がおしゃれなマシュマロのお菓子を買ってきてくださり、紅茶とともにおいしくいただき、お話も弾みました。お心遣いに感謝です(^^)
終了後も、ワークショップの内容についてのご質問を通して話が盛り上がり、充実した時間となりました。
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トラウマを否定する「目的論」とは?アドラーの見解
今回は、
アドラー心理学に学ぶ「トラウマを否定する“自立した生き方”」
というテーマでお話ししました。
アドラー心理学について書かれた『嫌われる勇気』の第1夜が「トラウマを否定する」であり、その内容に驚いた方も多いのはないでしょうか。
トラウマは、過去に受けた心的外傷のことです。元々の由来は、古代ギリシア語「trauma」といわれています(traumaは“傷”の意味)。
この心的外傷・トラウマは私たちの未来に大きな影響を与え、いまが苦しいとすれば、それはトラウマのせいである、と一般にはイメージされています。
しかしアドラー心理学では、この考え方は「原因論」でいわれ、誤った考えとされているのです。
トラウマがいまの私たちにまったく影響を与えていないわけではありませんが、
「トラウマによって行動が決定される」
「苦しみの原因のすべてはトラウマである」
ことは、キッパリと否定されているのです。
この原因論に対して、アドラー心理学では「目的論」が適切とされています。
私たちには先に「~したい(あるいは、~したくない)」という目的があり、その目的に適うものを過去から選び出している、と説明されているのです。
前回は、筆者の経験から、原因論的な見方と、目的論的な見方の違いをご紹介しました。
前回の記事はこちら
今回は、ベストセラー『嫌われる勇気』の中の例から、原因論的な見方・目的論的な見方をそれぞれお話しします。
赤面症を必要としている?告白できない悩みの本当の原因
『嫌われる勇気』で紹介されているのが、赤面症の女性の悩みです。
その女性には好きな人がいたのですが、「自分は赤面症だから、相手の印象が悪くなり、告白してもうまくいくはずがない。赤面症を治したい」と悩み、その好きな男性に告白できないでいました。
こう聞くと、ならば早く赤面症を治してあげるべき、と思うでしょう。
しかし『嫌われる勇気』で哲人はこう語っています。
どうして彼女は赤面症になったのか。
どうして赤面症は治らないのか。
それは、彼女自身が「赤面症という症状を必要としている」からです。
赤面症だから告白できない、というのは原因論的な見方です。
では目的論的に見るとどうなるかというと、彼女には「もし彼に告白し、振られたなら、もう立ち直れない。失恋して傷つきたくない。そのために赤面症を理由に告白しないでおきたい」という目的があるのです。
そして告白しない、彼とお付き合いをしない理由づけのために赤面症をつくり出している、と見なしています。
赤面症であれば、うまくいかなかったときの言い訳ができる、とアドラー心理学では考えるのですね。
だから本当の問題は、赤面症ではなく、彼女に“いまの自分を受け入れる勇気”が欠けていて、失恋を極度に恐れていることです。
これについて哲人は
彼女は自分に自信を持てていなかった。
このまま告白してもきっと振られるに違いない、そうなったら自分はますます自信を失い、傷ついてしまう、という恐怖心があった。
だから赤面症という症状をつくりだしたわけです。
と指摘しています。
このように勇気が欠けていては、仮に赤面症が治ったとして、彼女は別の症状をつくり出して、行動しないことを正当化するでしょう。
原因論的な考え方にもとづき、赤面症を治しさえすればいいと考えるのでは、これでは彼女の本当に望む結果は得られず、自己嫌悪に陥ってしまう可能性もあるのですね。
アドラーは
人は人生の敗北を避けるために、あらゆるものを利用する。
と語っています。
原因論的な見方では、あらゆるものを利用して自己正当化を繰り返すだけであり、これでは事態が良くなることは決してないとわかります。
次回は、別の女性の具体的な悩みから、目的論的な見方をお話しします。
まとめ
- アドラー心理学では、過去の心的外傷(トラウマ)がいまの行動を決定する、いまの苦しみはすべてトラウマのせいであるという「原因論」は否定され、「~したい(あるいは、したくない)」という目的が先にあって、理由は後からついてくるという「目的論」が提唱されています
- 赤面症に悩んでいる女性の例でいえば、「赤面症だから告白できない」というのは原因論的な見方です。対して目的論的には、彼女には彼に振られて傷つくかもしれないという恐怖心があって、傷つきたくないことから赤面症という症状をつくり出している、と見なします
- 原因論的な見方のままでは、たとえ症状が治ったとしても、また別の症状をつくり出す可能性さえあり、ますます自己嫌悪で苦しみかねないでしょう
続きの記事はこちら
引用した書籍
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