勉強会主催の みなみ です。
今回のワークショップには初めての方2名を含む、9名の方が参加されました。
朝から雨が激しく降っていて、交通のことも心配になりましたが、ワークショップ前には天気も回復したので、よかったです。
今回は、久しぶりにお会いできた方も多くて、懐かしさも感じつつ、雰囲気が変わられた方もいて、新鮮な気持ちになりました。
今回のワークショップのテーマは「トラウマ」についてで、その問題と解決策をディスカッションしていただき、それぞれのグループで話も盛り上がって、より理解も深めていただけたようでした。
私自身もディスカッションをお聞きして、改めて理解も深めることができ、有意義な時間となり、今回の機会をとても嬉しく感じました^^
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トラウマを否定する、アドラー心理学の「目的論」
今回のテーマは、
アドラー心理学に学ぶ「トラウマを否定する“自立した生き方”」
についてでした。
アドラー心理学は「常識へのアンチテーゼ」といわれるように、これまで当たり前だと思われていたことに対して、それを覆すようなことが提唱されています。
その最たるものの1つが、「トラウマの否定」です。
トラウマとは、過去に受けた心的外傷のことをいわれます(トラウマという言葉は、「傷」を意味する古代ギリシア語 traumaが語源といわれていますね)。
このトラウマという言葉を頻繁に用いるようになったのが、精神分析療法の創始者であり、心理学者のジークムント・フロイトです。
フロイトの主張は、「トラウマによって私達の行動が決定づけられる。ゆえにいまが苦しいのはトラウマのせい」というものですね。
このように過去の変えられないものが原因で今が苦しいと考えるのは、アドラー心理学で「原因論」といわれています。
対してアドラー心理学では「目的論」が提唱されています。
アドラー心理学では「トラウマが行動を決定づける」という考え方(原因論)が否定され、「私達にはまず(~したい、あるいは~したくないという)目的があり、経験のなかから目的に適うものを見つけ出している」といわれています。これが目的論です。
目的を達成するためにさまざまな事象への意味づけをしている、ということですね。
原因論的な見方と、目的論的な見方の違いについては、前々回、前回と具体例を通してお話ししていますので、ぜひご参照ください。
前々回の赤面症に悩む女性の例
前回の好きな人の前で異様に緊張してしまう女性の例
今回は、原因論で物事を考えることで生じる問題点についてお話ししていきます。
悪循環にハマる?原因論の致命的すぎる2つの問題点
原因論の問題点① 過去に囚われる
原因論の問題点としてまず挙げられるのが、「過去に囚われる」ことです。
原因論では、いまの苦しみや悩みの原因を過去に求めます。すると、「過去にこんなことがあったらから、私はこんなに苦しんだ」と考えますね。
そうなるとその過去を変えない限りは、苦しみ・悩みは解決されないことになります。
しかし過去の出来事そのものは変えることができないため、ずっと過去に囚われ、苦しみ続けることになってしまうのです。
アドラーは、
過去の原因は「解説」にはなっても「解決」にはならないだろう。
と語っています。
「過去にこんなことがあったから、私はいま、こんな目に遭っているんだ」と辻褄合わせはできたとしても、それでは苦しみの根本的な解決にならないのですね。
原因論の問題点② 過去の不幸を必要とする
過去の不幸を必要とすることについて、ベストセラー『幸せになる勇気』ではこう言われています。
どうして過去に起きた悲劇を「教訓」や「思い出」として語る人もいれば、いまだその出来事に縛られ、不可侵のトラウマとしている人がいるのか?
これは過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。
あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。
心的外傷となるような、同様の体験をした人のなかでも、それを教訓として語り、自己成長の糧にしている人もいれば、その出来事に縛られていると考える人もいます。
なぜそのような違いが起きるのでしょうか。
それは、いまがつらいか、楽しめているのか。いまの自分を受け入れているのかどうかによって決まるのです。
いまがとてもつらく、そんな自分を受け入れていなければ、「過去にこんなことがあったから今がつらいんだ」と、過去の不幸を必要としてしまうのですね。
いまのつらさを忘れるために過去の不幸を必要とするのは、お酒を飲んで嫌なことを忘れようとしているのと同じで、根本的な解決にはなりません。
酔いが覚めれば、また現実に戻って、嫌な思いを味わわなくてはなりませんね。
反対に、いまが楽しければ、あるいは楽しいとまではいかなくても自分を受け入れていれば、過去の不幸は必要なくなるのです。
むしろそれを教訓や思い出として語ることができるのですね。
原因論的な考えだと、過去に囚われ、過去の不幸を必要としてしまいます。それによってほんの一時、苦しみが和らいだようには見えますが、根本的な問題は解決せず、慢性的に悩み、苦しむことになってしまうのですね。
この過去に囚われ、過去の不幸を必要としている人の心境を表しているのが「心の三角柱」です。
次回はその心の三角柱とは何かということ、また過去に囚われず、トラウマを否定した生き方をするための方法をご紹介していきます。
まとめ
- アドラー心理学では、トラウマによって行動が決定されるという「原因論」は否定され、まず目的があり、目的に合わせて過去に意味づけをして行動を決定するという「目的論」が提唱されています
- 原因論で物事を考えることで生じる問題点が、以下の2つです
- 過去に囚われる(過去の出来事そのものを変えることはできないため、いつまでも苦しみ続けることになります)
- 過去の不幸を必要とする(いまが苦しいのは過去にこんなことがあったからだと考えることです。一次的に苦しみが和らいだように思いますが、根本的な問題は解決せず、慢性的に苦しむことになります)
引用した書籍
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