勉強会主催の南です。
今回の勉強会には、初めての方5名を含む、9名の方にご参加いただきました。
平日夜の開催ながら、初めての方にも多く来ていただき、非常に嬉しく思います(^^)
今回はテーマに基づき、「他人の評価にとらわれずに、自立するための勇気を持つ方法とは?」ということについて、ディスカッションをしていただきました。
ある方は、自分の弱みを人に話すことを恐れていたものの、あるとき思い切って打ち明けたところ、気持ちが楽になり、それ以降は「率直に話すことがむしろ、相手のためになる」と思われるようになったそうです。
自己開示をしたほうが、むしろ相手のためにもなり、自分を認めることにもなるのだと、私自身も改めて大きな気づきを得ることができました。
ご経験を話していただいて、とてもありがたく思うとともに、やはりこのような率直な意見交換の場を大切にしていきたいと感じました。
スポンサーリンク
「嫌われる勇気」を発揮するための3つのステップ
今回のテーマは
ブッダとアドラー心理学に学ぶ「“嫌われる勇気”を発揮する方法」
についてでした。
『嫌われる勇気』といえば、アドラー心理学本の代名詞ともいえる存在となったベストセラー書ですね。
SNSの普及などITの発達により、不特定多数の人との交流が可能となった反面、ひと目に晒される機会も多くなって、他人からどう見られているかが気になり、「人から嫌われたくない」と強く感じる方が増えていると思います。
それゆえに「嫌われる勇気」という言葉のインパクトに惹かれ、これほど有名になったのではないかと推測されます。
その一方で、では具体的に日常生活でどのようにアドラー心理学を使っていけばいいのか、「嫌われる勇気」を発揮するにはどうすればいいのかがわからない、という声もお聞きします。
そこでワークショップでは、3つのステップで、嫌われる勇気を発揮する方法をご紹介しています。
そのステップとは
- 他人の評価を気にしてしまう理由を知る
- 他人の評価のために生きる問題点を知る
- 勇気を持つ具体的な方法を知る
でした。
前回の記事では、3つのステップに入る前に知っておいていただきたい言葉である「他人志向」についてお話しました。
今後の理解をより深めていただけると思いますので、よろしければ前回記事もお読みください。
前回の記事はこちら

今回は、まず1つ目のステップ「他人の評価を気にしてしまう理由を知る」についてです。
なぜ他人の評価を気にしてしまうのか?“人間の根源的な欲求”からわかる理由
なぜ私たちは必要以上に、他人からの評価を気にしてしまうのでしょうか?
SNSの普及など、環境からも影響を受けていますが、そもそも私たち自身にその因子があります。
ここで、考えていただきたいのが、「人間の根源的な欲求とはなにか?」ということです。
欲求と聞いて思い浮かぶのは、食欲や睡眠欲ですね。
もちろんそれらも満たさなければ生きていくことはできないのですが、たとえ食欲や睡眠欲が満たされていても、これが満たさなければ生きていくことをやめてしまう、というものがあります。
それは何でしょうか?
『嫌われる勇気』の続編である『幸せになる勇気』では、人間の根源的な欲求は「所属感」といわれています。
所属感とは、「共同体の中で『私はここにいてもいいんだ』と思えること」です。
※共同体は共存している空間のことで、宇宙全体から個人同士のつながりまで、幅広く定義されています
確かに、職場や家庭のなかでは「私はここにいてもいいんだ」という安心がほしいですよね。自分の居場所や役割があることは重要に思います。
しかしなぜ、所属感が人間の根源的な欲求とまでいえるのでしょうか?
人間は「生存の本能」より「所属の本能」のほうが強くなったしまった
生まれたばかりのころを考えると、所属感がなぜ根源的な欲求となったかが、理解いただけます。
『幸せになる勇気』では、生まれたばかりの人間のライススタイル(=自己認識や世界観のこと)について、こう説明されています。
原則として子どもたちは、自活することができない。
泣くこと、つまり己の弱さをアピールすることによって周囲の大人を支配し、自分の望みどおりに動いてもらわないと、明日の命さえ危うい。
人間の赤ちゃんは、自活することはできませんね。自分で食料を確保して生活を営むことは不可能です。
生きていくためには周りからの支援が不可欠ですね。
支援を得るため、世話をしてもらうために、赤ちゃんは泣いて、自分の存在をアピールし、大人たちに動いてもらっているのです。
もし大人たちに動いてもらわなければ、赤ちゃんは一日たりとも生きていけず、まさに死活問題となります。
赤ちゃんにとって周りのつながりは、命と同等の重みを持ちます。
このような経験から、赤ちゃんは生存の本能より、人とつながりを持つ本能(=所属の本能)のほうが強くなってしまった、と説明されています。
所属の本能は、たとえ自活できるようなった後も強いままであり、ゆえに私たちは、まわりとのつながりを感じられないと大変だと思い、不安になるのです。
「周りから認められていれば、ほめられれば、周りとのつながりを感じられる。『ここにいてもいいんだ』と思える」
という思いから、他人の評価を気にし、誰からも嫌われないようにするのですね。
もし周りとのつながりが感じられないと所属感が得られず、自分の価値や生きる意味を感じることもできず、場合によっては自ら命を断ってしまうことさえあります。
以上から、所属の本能のほうが強くなったこと、それが他者からの評価を必要以上に気にする理由といえるでしょう。
では他人の評価を気にして生きる、言うなれば、他人の評価のために生きることにはどんな問題があるのでしょうか。
それについては次回、お話していきます。
まとめ
- ワークショップでは、嫌われる勇気を発揮する方法を、以下の3つのステップでご紹介しています
- 他人の評価を気にしてしまう理由を知る
- 他人の評価のために生きる問題点を知る
- 勇気を持つ具体的な方法を知る
- 私たちが他人の評価を気にしてしまうのは、人間の根源的な欲求が「所属感」だからです。「共同体のなかで『ここにいてもいいんだ』」と思って安心したいために、人からどう思われているかを気にするのです
- 所属感が根源的な欲求となった理由は、赤ちゃんのときに、「周りの大人たちとつながって、自分の望み通りに動いてもらわないと大変だ」と思い(実際に、大人たちに世話をしてもらわなければ生きていけません)、自分の存在をアピールする。その経験により、人とつながりをもつ「所属の本能」が強くなったからです
続きの記事はこちら

引用した書籍
スポンサーリンク