お釈迦様は「人生苦なり」とおっしゃった上で、まず目を背けずに悩み・問題があると認めるべきこと、
その悩み・問題は「因果応報」で自分に原因があり、自分の行為を改善していくべきこと、
ではどう行為を改善していけばいいのかについて、お釈迦様は「六度万行(六波羅蜜 ろっぱらみつ)」の実行を説かれていることをご紹介しました。
六度万行(6つの善い行い)は経営者も社の方針にされるなど有名であり、真っ当な人間として生きていくときに大切なものなのです。
六度万行は以下の6つです。
- 布施
- 持戒
- 忍辱(にんにく)
- 精進
- 禅定(ぜんじょう)
- 智慧(ちえ)
前回は「布施」「持戒」についてお話ししました。
今回は「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」までご紹介していきます。
前回の記事はこちら
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イライラ・ムカムカに耐える「忍辱」、蒔いた種は必ず生える「精進」
③忍辱(にんにく)
「忍辱」とは、辱めを忍ぶ、ということで、現代語でいうと忍耐といえます。
イライラすることやムカつくこと、腹立たしいことがあっても、それを言葉や態度に出さないようにすることです。
忍辱の反意語は「瞋恚(しんに)」といわれます。
瞋恚とは怒りのこと。イライラ・ムカムカに耐え切れずに激怒したり、キレたりすることですね。
「なんで自分がこんな目に遭わないといけないんだ。どう考えてもアイツが悪い」と、生きていればあまりの不条理さに怒りたくなることも多々あります。
しかしどう考えても相手のほうが悪かったとしても、そこで腹を立てれば、取り返しのつかないことになります。
勢い余って相手を罵ったり殴ったり、果ては殺してしまったりすれば、今までがんばって築き上げた地位も名誉もすべて失ってしまいます。
怒りの炎は相手を焼き、自らも焼き尽くしてしまうのです。
たとえ相手が悪いとしか思えないことでも、仏教では一貫して「因果応報」であると説かれています。
根本の原因は私自身の行為にあるので、それを見つめていかねばなりません。
怒りがこみ上げるのをグッと堪え、冷却時間を過ごす。
そうすれば冷静さを取り戻し、自分の行いを見つめることができるでしょう(心理学で「タイム・アウト法」といわれています)。
冷静に振り返っても、それでも相手に非がある、と思うこともあるはずです。
そんなときは相手を一方的に責めるのではなく、自分の気持ちを伝えたり、あるいは第三者の力も借りたりといった対処するのがいいですね。
④精進
「精進」は今日でも使われていますね。「努力精進する」と使ったり、あるいは肉や魚を使ってない料理を「精進料理」といったりしますね。
精進とは、精を出して進む、ということで、努力することをいいます。
なので、肉や魚を食べても、その後に努力をすれば、それも精進料理になりますね笑
「因果応報」の真理を知れば、努力をすればするほど、必ず自らに善い結果が返ってくるとわかるので、努力をせずにおれなくなります。
努力をせずに善い結果に恵まれる、ということは絶対にあり得ません。
「蒔かぬ種は生えぬ」であり、種を蒔いた人のところにのみ芽が生えて、やがては実が成るのですね。
加えて、努力の方向を正すことも大事です。
試験で良い点数を取るために一生懸命腕立て伏せをしていても、良い点数は当然 取れません(腕の筋肉はメキメキと鍛えられるでしょうが…)。
「相手に喜んもらおうと努力しているのに、なかなか喜んでもらえない。認めてもらえない」と悩む方もいます。
それは、相手は何に関心があるのか、何をしてもらいたいと思っているのかという、相手のニーズを知るという努力が足りていないからなのかもしれません。
ひょっとしたら自己満足になっているのかもしれません。
そんなときは相手が本当に必要としていることを知るのに時間を使うと、相手も喜び、自分のがんばりも認めてもらえるでしょう。
言動を振り返る「禅定」、人格を磨く「智慧」
⑤禅定(ぜんじょう)
禅定の、禅はしずめる、定は一つにさだめる、ということで、心をしずめて一つにさだめることをいいます。
これはすなわち、反省することを指します。
心をしずめないことには、自分のこれまでの言動や考えを振り返ることはできませんよね。
「アイツが悪い!コイツがこんなことを言ったからだ!」と心が乱れていては、自身の言動を省みることは難しいです。
心を落ち着けて、自分の言動一つを振り返ることに心を定めることで、本当は何が悪かったのか、実はその原因は自分の言動にあったと知ることができます。
そこまで自分の言動を振り返れば、同じような過ちをしないよう対策を立て、言動を改めることができるのでしょう。
あるいは自分も悪くはあったが、環境がもっと悪かったという場合もあるでしょう。
そんなときは環境をガラリと変えてみたり、自分一人で変えられない環境なら誰かに相談して変えてもらったりするといいですね。
誤りを犯さないことも当然大切ですが、ミスのない人間はいません。だから、ミスをしてしまった後にどのように振る舞うかがもっと大切なのです。
誤りを反省し、ただちに改めることを心がけていきたいですね。
⑥智慧
最後の「智慧」とは、現代語でいうと修養のことです。
修養とは、人徳を積んでいくこと、人格を磨いていくことですね。
ではどうすれば徳を積み、人格を磨いていけるでしょうか?
それは智慧より前の5つの善(布施、持戒、忍辱、精進、禅定)を実行することです。
真っ当な人間として生きていくのに必要な善を実行していくことで、素晴らしい人間に着実に近づいていけるでしょう。
1つを実行するままが、すべてを実行することになる
前回の記事でご紹介した「布施」「持戒」も加えた以上が「六度万行(六波羅蜜)」です。
「因果応報」の真理を受け止め、六度万行を実行している人は、間違いなく周りの人から必要とされ、尊敬され、余計な悩みや問題も解決されていくでしょう。
六度万行の素晴らしいところは、6つのうちの自分に合う1つを実行するままが、残りの5つも含めた6つすべてを実行することになるところです。
すべてを実行しなければならない、となると大変そうに思えますが、1つからでいいといわれると、モチベーションが高まりますよね。
「布施」でも「持戒」でも「忍辱」でも、まず自分が取り組めそうなもの、やる気が上がるもの1つを実践し、習慣にしていきたいですね。
まとめ
- お釈迦様は、悩み・問題の原因は自分の行為にあると認めた上で、六度万行(六波羅蜜-6つの善い行い)の実践を勧められました
- 「忍辱」は「忍耐」のことで、腹立たしいことがあってもそれを言葉や態度に出さないことです
- 「精進」は「努力」のことです。努力するほど必ず自分に善い結果が返ってきます。また、努力することに加え、努力の方向性を正しくていくことも大切です
- 「禅定」は「反省」のことをいいます。心をしずめて、これまでの言動を振り返り、改めていくことですね
- 「智慧」は「修養」を指します。徳を積み、人格を磨いていくことで、前の5つの善を実行していくことにより修養されます
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