勉強会主催の みなみ です。
ベストセラー書『自分の小さな「箱」から脱出する方法』を通して、人間関係の悩みを解消するメソッドをご紹介しています。
今回はその3回目です。
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「箱」の法則から知る、あらゆる人間関係の原因
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』では、あらゆる人間関係の問題を引き起こしている原因は、自分が「箱」に入っていることである、と指摘されています。
反対にいえば、「箱」から脱出すれば、あらゆる人間関係の問題は解消される、ということですね。
ではその人間関係の問題の鍵を握る「箱」とは何かというと、「自己欺瞞」であるといわれています。
わかりやすくいうと、自分への裏切り、ということです。
この自己への裏切りがもたらすのが、相手を“物”として見る、相手のニーズをごく軽いものとして考えることです。
自分が相手から“物”として見られたら、自分のニーズを軽く扱われたら、どう思うでしょうか?
つらいですし、相手への印象が悪くなります。自分も相手を“物”として見てしまうことになるでしょう。
これではとても相手と良い関係を築くことはできないですよね。
ちょうどそのように、自分が相手を物として見てしまうことで、相手のこちらへの印象が悪くなり、険悪な関係を招いてしまうのです。
自己欺瞞を言い換えると、心が敵対的であることです。
心が敵対的であるので、相手を物としてみる、ニーズを軽く扱ってしまうですね。
「心より行動のほうが大事なのではないか? 行動は目につきやすいが、心は相手にわからないから、それほど問題ではない」と思う人もいるでしょう。
ところが「人間は、相手が自分のことをどう感じているかを察知して、それに対して反応するものだ」といわれています。
心が敵対的か平和的かは、相手に見抜かれてしまうのです。
ゆえに心が敵対的な状態でどんな手法を使ったところでたいして役に立たないどころか、相手は「利用されるのでは?だまされるのでは?」と不審を持つのですね。
人間関係の、いろんな手法やテクニックが活かされるのは、平和的な心という土台があってこそ、ということを前回は詳しくお話ししました。
前回の記事はこちら
今回は、仏教で説かれる「心」と「行動」との関係について、詳しくご紹介していきます。
仏教で説かれる「心」と「行動」の関係は?
仏教では、私達の行いを
- 身業(しんごう)
- 口業(くごう)
- 意業(いごう)
3つに分けられています。これを三業(さんごう)といいます。
業というのは、サンスクリット語では「カルマ」といわれ、行為・行いという意味があります。
身業は身体の行い。私達が思い浮かべる行いといえば、まずこれですね。
口業は口の行い。口の行いとは、話すこと、しゃべることです。
意業は心の行い。心の行いとは、心でいろいろなことを思うことです。心で思うことも仏教では行いといわれます。
この三業の中で最も重要視されるのが意業、心の行いなのです。心の行いが最も重い、といわれます。
なぜ意業が最重要なのでしょうか?
それは私達は心で思ったことを口に出したり、その通りに行動したりするからです。心の指示によって身体や口は動くのであり、心に最終的な責任があるのですね。
たとえばあなたが心理学のワークショップに参加したとします。
ワークショップ会場まで足を運ぶ、というのは身体の行いですね。
ではなぜ会場まで足を運んだのでしょうか?
それは「ワークショップに参加しよう」と思われたからですね。
「気づいたら、会場にいました…」なんていう人は、絶対にいないでしょう。心で思ったから参加したのであって、何も思わずに参加することはありませんね。
これはどんなことにも当てはまります。
そのご飯を食べているのも、
そこに向かって歩いているのにも、
その相手にLINEのメッセージを送ったのも、
すべて心の思いが出発点になっています。
心の指示によって私達は動き、話をしている。身体や口は、いわば心の奴隷なのです。
相手にわからなければ何を思っていてもいい、は正しいか?
この心と行動の関係を聞くと、
「心は大事だとは思うが、それほど重要だとは思わない。心で何を思っているかは相手にわからないのだから、別に何を思っていてもいいのではないか?」
「口や身体に出さなければ、何を心で思っていても問題ない」
と思う人もいるでしょう。
確かに、テレパシーでもない限り、相手が心で何を思っているかを知ることはできませんよね。
しかし直接はわからなくても、私達の心の思いは、口や身体に溢れ出てくるのです。相手の口や身体の行為を通して相手の思いもまたわかりますし、自分の思いもまた自分の言動を通して相手に伝わっています。
『自分の小さな「箱」から脱出する方法』のなかで、「人間は、相手が自分のことをどう感じているを察知する」と言われている通りです。
川の上流で赤のインクを流せば、下流も赤に染まってしまうようなものです。上流が汚染されれば、下流もまた汚染の被害を受けてしまいます。
ちょうどそのように、どんなに気をつけていても、心の思いは口や身体からにじみ出てきます。
相手はそれを察知して私達の本心を見抜くのですね。自分の心が敵対的であれば、それが伝わってしまいます。
そうなれば取り繕うほど、「この人は私をだまそうとしているに違いない」と、印象が悪くなってしまうでしょう。
「相手にわからないから何を思っていてもいい」というのは大きな誤解であり、敵対的になってはいないだろうかと心を見つめることが、良好な対人関係を築くために大切なのですね。
次回は、「箱」の法則の由来である、“人間の2通りの存在の仕方”についてご紹介します。
まとめ
- あらゆる人間関係の問題の原因は、自分が箱に入っていること、すなわち自己欺瞞の状態にあり、相手を物として見ることにある、と教えられています
- 自己欺瞞を言い換えれば、心が敵対的な状態にある、ということです。心の状態は相手に見抜かれてしまうため、心が敵対的では行動が正しくても、相手への印象は悪くなってしまいます。心が平和的であってこそ、人間関係のテクニックも生かされるのです
- 仏教では私達の行いを身体と口と心(身業・口業・意業)の3つに分けられています(三業)。三業のなかで、最も重視されるのは心の行いです。それは心の指示で口や身体は動いているから、最終的な責任は心にあるから、です
- 口や身体の行いは心から流れ出てくるため、心の状態は口や身体の行いを通して相手に察知されます。ゆえに仏教の観点からも、心が敵対的であればそれは相手に伝わり、印象が悪化するといえます。「相手にわからないから何を思っていてもいい」というのは誤りなのです
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