勉強会主催の みなみ です。
『自己評価メソッド』を通して、不安や恐れなどの生きづらさを解消するにはどうすればいいのか、そのための自己評価の高め方について、続けてご紹介しています。
今回はその14回目です。
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自分を批判しないためには「事実と解釈を区別する」「すぐの効果を期待しない」
『自己評価メソッド』は、フランスで人気の精神科医 クリストフ・アンドレ氏によって書かれました。
『自己評価メソッド』には、自己評価の要素や、「よい自己評価」と「悪い自己評価」の特徴、それに至るメカニズム、また自己評価をよくしていくためのメソッドが紹介されています。
こちらの記事では、よい自己評価を持つためのメソッドを4つのパートに分けてお話ししています。
- 自分を受け入れる
- 自分との関係を改善する
- 他人との関係を改善する
- 行動の仕方を改善する
前回は、2番目のメソッド「自分との関係を改善する」の前提となるのは「自分を批判しない」ことであり、そのための実践法の2番目、3番目をお話ししました。
自己に対する批判は、目の前で起こったこと(=事実)と、自分がその事実をどう考えたのか(=解釈)を混同することから生じることも多い、といわれています。
本当に嫌われているかどうかわからないことに、「私は嫌われている」と否定的な解釈をすれば、自己評価が傷つきかねないのですね。
ゆえに、ネガティブな解釈を正しいと決めつけず、すぐに結論を出さずに、ほかの可能性も考えてみること、
反射的に出てくる断定的な言葉には疑いを持ち、「別の言葉に言い直してみる」ことが勧められています。
例:おはようと声をかけたのに、相手から返事がなかった場合
また、自分を批判しないようになること(=自分と距離をとれるようになること)は簡単にはいかず、訓練とそのための時間が必要です。
にもかかわらず、すぐに結果が出ると期待すれば、思うような結果が得られないと、余計に自分にがっかりしてしまいかねません。
すぐの効果は期待せず、自己評価メソッドに毎日着実に取り組んでいくことが大切なのです。
前回の詳細はこちら
今回は、仏教の観点も踏まえた、自己批判と自己成長との関係をご紹介していきます。
自己批判をしないためには「自己への思いやりを持つ」
自己への批判は、自分に対して絶対的な要求をすることからも生じます。
たとえば、「私は完璧でなければならない、失敗する人間はダメな人間だ」と自分に言い聞かしていれば、
失敗をしてしまったときに「こんな失敗をするなんて、私はなんてダメなんだろう」と批判をしてしてまいますね。
このような自己批判をしないための対策として、「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」を持つことが勧められています。
テキサス大学オースティン校の心理学者 クリスティーン・ネフ氏(セルフ・コンパッションの研究で知られています)は、セルフ・コンパッションについて
友人に対して持つような思いやりを自分自身に対して持つこと
と定義されています。
自分批判をしないための実践法の1番目「自分に好意的になって公平な見方をする」のところでもご紹介したように、
自分にとって大切な友人に対しての指摘は人格全体に関するもの(「お前はダメだ」)ではなく、具体的な事柄に関するもの(「あなたのここはよくなかったんじゃないかな」)になるはずです。
友人と同様に、自分に対しても自らの人格そのものではなく、あくまで自分の行為を問題にするのが、セルフ・コンパッションなのです。
自己への思いやりは、「人間である以上、落ち度があるのは当たり前」という認識から始まる
ともいわれています。
完璧な人間、欠点のない人間はいません。人間であれば落ち度や欠点、失敗があるのは当たり前ですね。
そのような認識を持てば、無下に自分の存在を否定したり断罪したりすることなく、自分を理解し、自分の過ちを認めた上で、自己成長のための努力をしていけるのです。
仏教で説かれる人間観から知る、自己批判をせず、自己への思いやりを持つ方法
仏教でもまた、そのような人間観が教えられています。
仏教では人間のことを「凡夫(ぼんぶ)」といわれています。凡夫とは、煩悩にとらわれ 苦しみや悩みから抜け出すことができない人のことです。
煩悩というのは、人間を悩ませ、苦しめるもののことであり、全部で108つあるといわれています(除夜の鐘が108回撞かれるのは、煩悩の数からきているそうです)。
その煩悩の中でも特に人間を苦しめるものを三毒(貪・瞋・痴)ともいわれています。
- 三毒
- 貪(とん)、貪欲
- 瞋(じん)、瞋恚
- 痴(ち)、愚痴
貪(とん)とは貪欲(とんよく)ともいわれます。「お金や名声がほしい」という欲の心のことです。人間の欲は際限なく広がっていき、満たされ切ることはありません。
お金や名誉、人からの評価を手に入れるために、人を騙してしまいもするのが私達です。あるいは欲に目がくらんで出過ぎたことをしてしまい、失敗することもあるでしょう。
瞋(じん)とは瞋恚(しんい)ともいわれ、怒りの心のことを指します。欲を満たすのが邪魔されると、出てくるのがこの怒りの心です。
仕事のプロジェクトで足を引っ張られたり、人前で叱責されたりすれば、手に入るはずだったお金や名誉を失い、プライドが傷つけられます。その時に猛然と出てくるのが怒りです。
冷静さを失って衝動的に行動し、怒りに身をまかせたことを後悔することにもなりますね。
自分の不甲斐なさに苛立つこともあるでしょう。
最後の痴(ち)とは愚痴のことをいいます。愚痴とは、嫉妬や恨みの心をいいます(いまは不平不満の言葉という意味で使われていますが、もともとは心のことです)。
自分より優れている人を見て嫉妬心を抱いてしまい、そんな心を持つ自分に嫌気が指すこともあるかもしれません。
愚痴のために自分の儲けを台無しにした人、プライドを傷つけた人に恨みを持ち、周囲に八つ当たりをしてしまうこともあるでしょう。
このような三毒をはじめとする煩悩で悩み、苦しんでいるのが人間であると教えられているのです。
自己中心的になりがちで、欲を満たすために歯止めがきかなくなる。思い通りにならないとイライラして、心を乱す。不満を抱えては、周りに毒を吐いてしまう。
それが人間であるとわかれば、落ち度があるのは当たり前と思えて、「自分にはいろいろな欠点があり、決して完璧ではない」と受け入れることができます。
その上で「少しでも周囲との関係をよくしていくには、今後、どうすればいいだろうか」と考え、自己成長のための努力をしていくことが大切なのですね(自分を甘やかすとか、開き直って他者のことを考えずにやりたいようにやる というではない、とも知っていただきたいと思います)。
失敗したり、自分の欠点にこだわったりして落ち込みそうな時は、仏教で説かれる人間観を思い出され、「人間であれば落ち度があるのは当たり前」という認識を持ち、失敗や欠点を認めるようにしてください。
そして、
「自分の欠点を生かす方法はないだろうか?」あるいは「強みを発揮できるようにするにはどうすればいいだろうか」、
「この失敗から学べることはないだろうか?同じ失敗を繰り返さないために何ができるだろうか?」
「こんなことを思ってしまう自分だけれども、だからこそ相手の過ちを認めて、寄り添えるはず。自分にできることに取り組もう」
と、自分に思いやりを持って励ましながら、今後の方針を立て、実行する。そうすれば、着実に自分との関係は改善し、自己評価もよくなっていくでしょう。
まとめ
- 自分に対する絶対的な要求から、自己への批判が生まれることもあります。その対策として、自己への思いやり(セルフ・コンパッション)を持つことが勧められています
- 自己への思いやりとは、友人に対して持つような思いやりを自分にも持つことです。大切な人と同じように自分自身と接すれば、指摘は人格全体ではなく、あくまで行為だけとなり、自分を大切にできます
- 自己への思いやりは、「人間である以上、落ち度があるのは当たり前」という認識から始まる、ともいわれています。完璧な人間はおらず、誰にでも失敗や欠点はあるとわかれば、自分を断罪することはなくなるのです
- 仏教でもまた人間は煩悩にとらわれ苦しんでいる「凡夫」と説かれています。誰にでも自己中心的な面や衝動的に行動してしまうこと、周囲に八つ当たりしたくなる気持ちはあり、落ち度があるのが人間と教えられているのです
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