勉強会主催の みなみ です。
今回のワークショップには、初めての方5名を含む、14名の方にご参加いただきました。
平日ながら、たくさんの方に来てくださり、とても嬉しく思います(^^)
今回のテーマであるアドラー心理学をすでに学ばれている方も多く、皆さんの意見をお聞きし、私自身も学びが深まり、気づきが得られました。
アドラー心理学で教えられる「課題の分離」は、対人関係での非常に有効なスキルであるものの、「なかなか実践は難しい」というご感想もいただきました。
その上でどうすれば実生活に生かせるかについてもお話ししました。少しでも今後に役立てていただけることあれば、ありがたいです。
記事の内容を動画でもご紹介しています
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良好な対人関係を築く土台である「課題の分離」
今回の勉強会のテーマは
ブッダとアドラー心理学に学ぶ「対人関係を激変させる“課題の分離”」
についてでした。
この課題の分離は他者と良好な関係を築く上で土台となるものです。アドラー心理学を学んだ方なら、ほぼ聞かれたことがあるのではないかと思います。
ベストセラー『嫌われる勇気』には、課題の分離ができていないことから対人関係のトラブルが生じてしまうのであり、ゆえに「課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう」と書かれています。
ではその課題の分離とはどのようなものか、また具体的にどのように生かしていけばいいかについて、ご紹介してきました。
「課題の分離とは?その手順と、やってはならない『課題への介入』」に関する記事はこちら
「課題に介入しないための方法は、他者に期待せず“他者貢献感”を持つこと」に関する記事はこちら
そして前回は、課題へ介入しないための方法である「他者貢献感」とは何かについて、詳しくお話ししました。
前回の記事はこちら
理想の対人関係のあり方は?他者に期待せずに“貢献感”を持つ
私たちは、人に親切をしたり助けたりすれば、その相手に「お礼を言ってもらいたい。認めてもらいたい。自分も親切にしてもらいたい」という気持ちが出てきますね。
しかしお礼を言うかどうか、相手もまた自分に対して親切をするかどうかは相手の課題です。ゆえに称賛を求めるのは課題への介入になってしまいます。
もちろん、自分がしてもらったことに対して相手にお礼を言ったり、認めたりするのは自分としては当然といえますし、すべきです。
ただ、「あなたも当然、私を認めるべきだ、親切にすべきだ」と、自分の考えを相手にそのまま押しつけてはならないのですね。
『嫌われる勇気』の著者 岸見一郎さんは、対人関係のあり方について「他者に期待しない。それでいながら、貢献感を持ちたい」と言われています。
(他者)貢献感とは「自分が他の人の役に立てている、と感じている状態」をいいます。これは主観的な感覚であり、相手から実際に称賛や承認があるかどうかにはよりません。
この貢献感を持つことができれば、対人関係は自己完結となり、精神的に健康になることができるのですね。
もちろん、相手からの称賛を求める気持ち(承認欲求といいます)はなくならず、たびたび出てくると思います。思うようにならない相手を責めてしまうこともあるでしょう。
それはそれとして受け止めて反省し(自分を責め過ぎることなく)、この理想の関係に向かえるよう努力をしていくことが大切です。
このような対人関係でのあり方は、仏教で説かれていることと通じるところがあります。
親切・貢献をしたときの大切な心がけ「三輪空寂」
アドラー心理学で、他者に関心を持ち、他者貢献に踏み出し、貢献感を持つべきと教えられているように、
仏教でも、まず、利他行(相手を喜ばせること、幸せにすること)を実行すること、そして、相手に見返りを求めないようにすることが教えられているのです。
その利他行の心がけは「三輪空寂(さんりんくうじゃく)」といわれます。
三輪とは
- 施者(せしゃ-私が)
- 受者(じゅしゃ-誰々に)
- 施物(せもつ-何々を)
の3つです。
空寂は、忘れなさい、ということ。
つまり三輪空寂とは、相手に施しをしたとき、親切をしたとき、貢献をしたときに、「私が、誰々に、何々を」の3つを忘れるようにしよう、ということです。
親切をしたときや物事がうまくいったときに、「私がやってあげたんですよ。私ががんばったんですよ」という気持ち、
「あなたにやってあげたんですよ。あなたを助けてあげたからですよ」という気持ち、
「これだけの時間をかけて、これだけのことをやったんですよ」という気持ちは、いずれもありますよね。
仏教では特に執着といわれます。このような自分がした親切の執着はいつまでもついてまわり、なくならないのです。
しかしいつまでも自分のやったことを覚えていて、期待した見返りが得られないと、腹を立ててイライラし、相手を責めてしまうことさえあるでしょう。
さらには「ほめてもらえないのなら、もうやらない」とまでなってしまうこともあります。
これでは、せっかく親切・貢献をしたのに、もったいないですね。
相手に見返りを求める心、執着心はなくならないものであり、このような心がけは非常に難しいのですが、だからこそ、忘れようと努力するほど素晴らしい利他行となり、自分の徳ともなります。
利他行をされること、親切をされること自体は素晴らしいことです。さらにもう一歩、「三輪空寂」を実践していただければと思います。
自分が親切をしてもらったときの心がけは?
これとは反対に、自分が親切をしてもらったときは、欠かさずにお礼を言うこと、助けに感謝することが大切ですね。
残念ながら人間は、自分のした親切はいつまでも覚えていますが、人からしてもらった親切は簡単に忘れてしまいます。
それが本質だからこそ、忘れないうちに時間を置かずに感謝を伝えることが良好な人間関係を築くのに不可欠ですね。
仏教に
受けた恩は石に刻み、かけた情けは水に流す
という言葉があります。
親切にしてもらったことは決して忘れず、自分がした親切はすぐに忘れてしまいましょう、といわれています。実行していきたいですね。
次回は、他者貢献感を持つことで得られる「自分の価値」についてお話しします。
まとめ
- 自分がした親切、他者への貢献に対して、称賛・承認を求めるのは課題への介入であるため、(称賛するかどうかは相手次第)、アドラー心理学では、自立につながる「貢献感を持つこと(自分が役に立てていればそれでいい、と思う)」が勧められています
- アドラー心理学と同様に、仏教でも利他行(他者貢献)、そして「三輪空寂」が教えられています。他人に親切したときは「私が・誰々に・何々を」の3つを忘れ、見返りを求めるべきでないと説かれているのです。執着から離れようと努力するほど、素晴らしい利他行となります
- 自分が親切をしてもらったとき、助けてもらったときは、感謝し、欠かさずにお礼を述べることが大切です。自分がした親切は忘れ、人にしてもらった親切は忘れないことが幸福の鍵なのです
続きの記事はこちら
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